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さて、4月になりました。友人達は新たな期待と不安を持ちながら、入社式で辞令を受け取っているころでしょうか。社会人になり損ねたNamiは今、パソコンに向かっております。友人達はNamiのことを本気で心配してくれているみたいです。友人から本気で心配されることには、本当に感謝しています。しかしながら、Namiは気にしていないのです。友達はそれを「強がりだ」と言いますが、本気でなんとかなるって思っているのです。一つ気になるといえば、近所を歩くのに抵抗があるという程度でしょうか。周りは体裁を気にするようです。上に「社会人になり損ねた」と書きましたが、実際には、Namiはそんな風に思っていません。Namiには、協調性というものが欠けているようです。 Namiは思うのです。確かに、はじめの第一歩は人より遅れているかもしれませんが、それをNamiは恥だと思いません。だってね、スタートをいっしょにしたからといって、ゴールはみんな違うでしょう。ゴールが違うのに、スタートをいっしょにしなければならないなんて、どこか変だと思いませんか。みんなが就職する時期だから、同じように、どこでもいいから就職している方が多いでしょう。それが悪いとは思いませんが、どこかで自分を犠牲にしていませんか。「それが現実だから」と言われればそこまでですが、ゴールが違うのだから、スタート地点も違っていいのではないでしょうか。Namiはみんなと同じように束ねられることが嫌なのです。自分のペースでスタートを設定したいのです。 今の状況にぴったりだと思う詩を紹介したいと思います。新川和江さんの「わたしを束ねないで」という詩です。ドラマで引用されていたこともあり、ご存知の方も多いのでは?ドラマで引用されていたのを聴いて、この詩を知りました。しがらみの中に生きている「わたし」の主張がいいと思いませんか。 わたしを束ねないで わたしを束ねないで あらせいとうの花のように 白い葱のように 束ねないでください 私は稲穂 秋 大地が胸を焦がす 見渡すかぎりの金色の稲穂 わたしを止めないで 標本箱の昆虫のように 高原からきた絵葉書のように 止めないでください わたしは羽撃き こやみなく空のひろさをかいさぐっている 目に見えないつばさの音 わたしを注がないで 日常性に薄められた牛乳のように ぬるい酒のように 注がないでください 私は海 夜 とほうもなく満ちてくる 苦い潮 ふちのない水 わたしを名付けないで 娘という名 妻という名 重々しい母という名でしつらえた座に 座りきりにさせないでください わたしは風 りんごの木と 泉のありかを知っている風 わたしを区切らないで ,や.いくつかの段落 そしておしまいに「さようなら」があったりする手紙のようには こまめにけりをつけないでください わたしは終りのない文章 川と同じに はてしなく流れていく 拡がっていく 一行の詩 (初出:新川和江『比喩ではなく』) |
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